【本読んだ】思考の整理学

外山滋比古さんの思考の整理学を読んだ。

外山さんの著書で以前に、乱読のセレンディピティを読んだことがある。

乱読のセレンディピティ【文庫電子版】 (扶桑社BOOKS文庫)

数年前のことだ。本なんてさらさら読み流せ、みたいな主張だったこの本自身も、非常にサラサラ読めてしまうものだった。

言っていることは一貫しているし、重なる部分が多いと思う。乱読の方を以前に読んでいて、外山さんの考え方を受け入れる準備が自分の頭の中でできていたかもしれない。

 

思考の整理学

 

乱読の方もそうだが、なにか体系だった評論のたぐいではない。どちらかというとエッセーに近い気がする。著者の主観がバキバキに入っている(ように書かれている)。

似たようなスタイルの本は、考えるヒントだと思う。考えるヒントの方はさっぱりわからんかった。

 

最近読んだメモの魔力と反対の主張をしているところが面白い。以下引用

”めったにメモをとらないことだ。”

(中略)

”つまらないことはいくらメモしてもいい。そうすれば、安心して早く忘れられる。大切なことは書かないでおく。そして、忘れてはいけない、忘れたら、とり返しがつかないと思っているようにするのである。”

外山滋比古「思考の整理学」、筑摩書房、2017年)

といいつつも、ふっと思い浮かんだことこそが大事だからかならずメモできるようにしとけよ、とも言っている。

一貫性を説明できるかと言われたらできない。だが面白い。

メモの魔力では、とにかく全部メモをとれ!と言っている。素材を逃さずメモし、メモ帳の上で素材を純化させ、有用なものに変えることを目的としているから。

外山さんはこの純化は、人の頭の中で自然に起こるものだよ、という。

 

***

 

朝飯前にはいろんなことがはやく片付く。それは朝飯前がパフォーマンスが最高の時間だからだ。ではそのパフォーマンスを昼まで続かせるためには・・・?

 

思考の整理”学”といいつつ、外山さんの考えていることを小出しに寄せ集めた読み物だと思う。

 

わからないから読まないというのはもったいないと感じる。

本を読んでも理解できず、収穫がないということは確かにある。けれどそれは、自分の頭の中の土壌がまだ耕されていないからかもしれない。

作物ができるのは、土を耕し、種を蒔いて、時間が経ってからである。

頭の中も同じだから、いきなり本を読んで作物を獲ようとは思わないこと、まずは土を耕すつもりで流し読みすれば良い。そう思いました。